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俳優は人であってはならない

[キム・ヘリが会った人]バカ正直な演技中毒者キム・ミョンミン    
 文:キム・ヘリ 写真:ソン・ホンジュ  cine21  2009.08.17

<俳優は人であってはならない>

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キム・ミョンミンは両手であばら骨をしょっちゅうさすっていた。新しい映画のため52kgまで減量した体にどれだけ肉がついたか確認しようとした癖だ。回復中である彼の体重はまだ正常値を少し下回る63kgに3週間とどまっている。体を道具に仕事をする職業の気の毒な一面だ。キム・ミョンミンはとりわけつらく演技する俳優だ。持って生まれた運命と天性がかみ合った結果だとしかほかに説明することができない。演技者として重要な仕事をもらうまで本当に苦労して、長い待ち時間の果てにやっと手につかんだ大役の数々は、どれも骨の折れる修練を要求する難題であった。
名将イ・スンシン(不滅のイ・スンシン)、名医チャン・ジュンヒョク(白い巨塔)、名指揮者カンマエ(ベートーベン・ウィルス)を実際に生きている人間だと信じるように見せてくれることに、抜け道やう回路はなかった。決定的なことは、キム・ミョンミンには役柄が要求することを自らもっとレベルを挙げてやりとげるという習慣がある。喝采が戻り、信頼が集まった。熟練した執刀を見せて、「合唱交響曲」を覚えて指揮することだけでは手に入れることができない対価だった。最高の専門家であって原則主義者という点以外にイ・スンシンは革新を夢見るハムレット型人間だったし、カンマエはエリート主義者であり、チャン・ジュンヒョクは猛烈な実利主義者であった。そのような姿を見逃がしたならば、キム・ミョンミンに対する評価はすぐれた技術に対する称賛で終わってしまっただろう。

彼の新作は「あなたは私の運命」「あいつの声」のパク・チンピョ監督が演出するメロードラマ「私の愛 私のそばに」だ。今までキム・ミョンミンは愛よりも力を求める人物、すでに持っている力をさらに育てたいというキャラクターを主に演技してきた。彼を涙ぐましいメロードラマに呼び込んだ理由をパク・チンピョ監督に聞くと、「涙と声が本当にロマンティックにやれると思いました。体に麻痺がきたら、目で話す演技が多いのですが、キム・ミョンミンはとても澄んだ目を持っています。どんなにつかれても充血しなくて驚くほどでしたよ。」目も目だが、キム・ミョンミンの声が持つ説得力に異議を唱える人はいない。交通を遮断するほどの美男ではなく、肉体的存在感も平凡なキム・ミョンミンが隠れ持つ威力的「剣」は重厚でトーンが豊かな声だ。その響きは見る以外の感覚を身ぶるいさせ、がばっと起き上がらせ、ドラマの核としてすぐにひきずり込む。メロードラマには押さえられた苦痛を、スリラーには緊張を、コメディには泰然自若をすぐさまあふれさせる。
特に権威的な人物を演技する時自ら充電して行きながら話しているようなキム・ミョンミンの話法は、確固足る自分だけのアクションと感じられるくらいだ。
もちろん かっこいいペルソナと良い演技は混同されやすい。しかしキム・ミョンミンがムンソリ、ファン・ジョンミンなどに続き韓国の卓越したキャラクター俳優としての位置を不動にした事実は間違いない。「私は俳優には種類があると学んだこともなく、ただ当然のようにメッド演技をしなければならないと学んだんですよ。 技術的なことは違う形の演技で身につけたりもしましたが引き受ける姿勢はメソッド演技でしょう。俳優の「俳」は「人」へんに、そうではない「非」の文字が加わっている。俳優はひとであってはならない。おまえは自分を忘れなくてはならない。演技する瞬間はキム・ミョンミンが見えてはいけないということですよ。今もそのように思っています。」
一点の疑いも混ざらない彼の言葉だ。悲しいことだ。我々はすでに俳優としてキム・ミョンミンを見ることができないようになった。チャンスは準備する者の占有物だと確信し、偶然の魔法でさえ必然的準備を成し遂げた次にこそ達成できると信じ、油断することを知らない一人の演技者にわれわれは心を奪われた。振り返えろうとしてもあまりにも遅かった。

-パク・チンピョ監督の新しい映画「私の愛、私のそばに」の撮影が5月に終了しました。
ルーゲーリック病患者である ペク・ジョンウを演じるため減量した体重も回復中であるとのことです。(役の)人物から少し抜け出しましたか?


 まだ、なんとも言えません。後半の撮影をよく覚えていないんです。体は最悪の状態になっているんですが、後ろに行けばいくほど、極度の集中力が必要な演技を要求されて、その格差が広がってしまいました。

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-撮影終盤の記憶がもうろうとしているんですね。

スタッフ達の話しでは人の区別がつかず方向感覚も失ってひやひやしたらしんですが、私は記憶がないんですよ。
私の中では大丈夫なんですが監督がいきなり40分休もうと提案されておかしいなと思ったこともありました。座っていて立ち上がる時は慎重になりました。急に立ち上がると低血糖症のせいで倒れてしまうんですが、倒れたら回復するのが大変じゃないですか。
せめて撮影をする途中に救急車で運ばれることだけはないようにしようと考えたんですよ。宿で1,2回気絶のようなことはありましたが、撮影現場ではこらえようとしましたね。それでもベッドに横たわっているシーンが多かったので一瞬一瞬、意識を失ったことがあったようにも思います。。


<ルーゲリック病患者の演技、減量との戦い>

-「私の愛 私のそばで」のペク・ジョンウは運動神経細胞が破壊されて、映画が進行されるほど体がだんだん硬くなっていく人物です。俳優としては表現の道具である体をだんだん減量して行きながら、演技をしなければないので大きな負担ではなかったでしょうか。

その負担自体を武器として考えたんでしょう。たとえば外科医役をする時には手術する姿がどれだけリアリティかが武器ですよね。どんなに他の演技をうまくやっても手術シーンが間が抜けていたら見ている人々はその人を医者として見ずに、キム・ミョンミンが医者を演じていると思うのですから。「私の愛 私のそばで」でもどかしかったのは表現力が落ちるのではなく、私が学べば解決するという演技ではないという点だったんです。
ずっと減量して本当に麻痺が進行した患者のように見えることが武器だったんですが、それは前もって準備して入ることができないじゃないですか。最初は72kgだったんですが、はたして一ヶ月後に三ヶ月後に何キロになるのかという不安に、自分自身最後まで信じてなかったんですよ。でも重圧感のためなのか、体重が落ちて行ったんですよ。
撮影当初から20日ほどで、10kgが減りました。むしろ撮影のスピードより減量速度がとても早くてそれが問題でしたね。残り2か月間どこまで落とせば、ずーと痩せて行くように見えるのか悩みました。結局誰かがやめろと止める時までただずーっと落していくしかないと思いました。

-ペク・ジョンウのようなキャラクターの危うさはちょっと間違えれば性格が見えなくて病気だけが見えるという点のように思います。
病気と別にジョンウという人物が元々どんな性質を持っている人であるか仮定しましたか?

 楽天的な人物でしょう。後で大脳神経にも障害が起きてうつ病になり感情をコントロールできなくなりますが、それは症状であるだけで、ペク・ジョンウは元々生きていけるという希望がしっかりあって、意欲が強くそれで先に女性にプロポーズもできた男性だと思いました。

-「私の愛 私のそばで」を準備しながら監督が同じような素材を扱う<シ インサイド>など映画何篇かを薦められたと聞いたんですが。

既存映画の中で納得できるだけの映画はなかったんですよ。ルーゲーリック病に対する映画は一遍たりともなかったんですよ。野球選手 ルーゲーリックのドキュメンタリーを見たこともありましたが、病名の由来について知る程度でした。
ハンヤン大病院からもらった資料程度を除けばデータがあまりにも不足して大変でした。手に入れられるのはパーキンス病と脳卒中に関する資料だけでした。実際患者の皆さんとお会いしていただいた助けがもっとも大きかったですが、それはまた求めるほど私が取材して学ぶことができるという環境ではなかったんですよ。患者家族としては拒否感が生じるじゃないですか。でも映画を撮ってみるとなぜルーゲーリック病に対する映画が作られてこなかったのか、理解ができたんですよ。

-なぜですか?

最後には手首が7,8歳のこどもよりもっと細くなっていくのでCGの助けを借りないと表現するのがつらいです。俳優も所詮人なので、この役が終わって違う作品をしないというならわからないけど、体が道具である職業なのでさらに危険なように思います。
これから私がどんな映画に夢中になるかわからないですからね。


<急ぎ立ててムチ打ってくる演出者が良い>

-キム・ミョンミンさんは準備をたくさんする俳優であり、撮影に入れば病気になるほどつらく演技されると知られています。「心的に苦労が少ない作品は結果があまり良くない。私がつらくて苦しいほど結果が良かったようだ」という言葉を言ったことがあるんですが、もしかして自分をつらく酷使しなかったら仕事をしたと感じることができないということですか?

 酷使しなければすっきりしないんです。がむしゃらなスタイルなんです。(笑)
演出家が私を信じて頼るのはいやです。私が物足りないと、ずっと急きたててムチを打ってくれる人が必要です。「どうだったですか?」と申し上げて「あ、とても良いよ」そうすると、何か不安なんです。そうだとして、全体を見ている監督の前で俳優が毎回欲を出してもう一度やりましょうと駄々をこねることもできないですし。だから監督が「そんなこんなで一度変えてやってみょう」と言えば、それほどうれしいことはないです。

-緊張しないで演技しても言い結果を引き出すスタイルの同僚たちがうらやましいでしょう。

ものすごくうらやましいでしょう。不憫にも思います。勉強できない子供たちが必ず休み時間に話もせず、本をむさぼり、試験を受ければ点数がそれほどでもないじゃないですか。(笑)
そのように生まれなかったのはどうすることもできないでしょう。

-学生時代にも宿題から片付けておく方でしかたか?やらなければならないことがあれば、一番大変な課題から解決するとか、食卓でおいしくない料理から食べる習慣があるんじゃないですか?(笑)

なんでですか? おいしいものから食べるでしょ。すぐなくなるじゃないですか。
学校の休みの宿題は0か100でした。終業式の日片付けるか、始業式の前日にまとめてしました。
終業式の日「探究生活」全部片付けて、外に出て昆虫を捕まえてきて、日記も1か月分まるごと書きました。(一同爆笑)経験を通じてみれば放学(学校の休み)というものが本当に短いということでしょう。(笑)

-教会演劇が最初の演技経験だったんですか?

幼稚園に通っている時あやつり人形劇をしながら、舞台というところに初めて立った時大きい興奮を覚えました。教会演劇ではイエス様、ペドロ、ヨハン役などをあまねくやって牧師様のガウンを裏返して悪魔(サタン)も演じたりしました。

-子供のころに舞台で客席を見下ろすアングルが不慣れではなかったんですか?一人の人が多数の視線の中にいる状況が最初から平気だったんですか?

むしろ前に人がいないと演じるのが嫌な方でした。私がダンスが上手くて親戚の集まりから教会の修練会、学校の遠足など人が集まる席なら無条件で呼ばれて出て行きました。マイケルジャクソンのダンスがうまい友達と舞踊を踊る私がいつもセットで出た記憶があります。
その人気で班長にもなって「何かが光る夜」(解説:韓国の人気ラジオ番組)スタイルの学校行事ごとに演劇をしました。演劇の練習をするために夜11時、12時に帰宅したこともありました。地区別聖劇大会の準備もして。

-世の中を眺める時、キリスト教信仰が依然重要な力として作用しますか?キリスト教の家庭で育って反対に進むのは難しいですよね。

私が今ここまで来れたのも神様と多くの方々の祈りのおかげだと思います。もちろん反抗期もありましたよ。母胎信仰(生まれる前から洗礼を受けた子供)のため、私に選択する自由がなかったのか不満もありましたし。家族がいわゆる8学群地域に住んでいたんですが、教会が遠いというひとつの理由で私が中学入学する頃スセク方面に引っ越しました。教育とか、不動産投資には両親が全く関心がなかったんですね。自分がもっと大きくなっていたら、止めていたけど、本当にどうしようもなくやられたと思いました。(爆笑)(解説:8学群は江南エリア。スセクはちょっと都会からはずれたところ。江南に家があれば不動産価値が上がってよかったのに惜しかった、というミョンミン氏の残念な気持ち。)

-早くから観客の前でパフォーマンスをしたということですが、他人を説得する時いくらか自信がありましたか。

KMM) 私が子供のころはぴったり二分されたようでした。
ガキ大将役を6年ぐらい楽しくしていて俳優という職業に確信を持った中3、高校1年から苦労した時期に入りました。神学大へ行けという父、工大へ行けという母の話しを聞きながら 理科学生として生活しつつ、進路を選択する時が近づき、もう隠すことができなくて自分の意思を明らかにしました。

-ソウル芸術大学と劇団を経由して多様な演技修行を経たはずなんですが、どんな訓練が最も有用だったか覚えてますか?

自分が猫だと思ってみたりもしたし、別々の訓練を全部しますね。自分の体を弛緩させる身体訓練が重要だったと思います。体のすべての筋肉が緊張から抜け出さないと、ある部分でも楽にならないと絶対に演技が前に出ないんです。演技は完全に楽な状態で出てくるものなんです。
弛緩させるためには没頭しなければなりません。没頭すれば、自分がどのようにしているか感じることができないんですよ。没頭に失敗すると、肩から姿勢が不自然で手ひとつあげることもどのように上げればよいかわからなくて全部計算しなければならないでしょう。

-確かに演技専門家とそうでない人の最も大きい違いは手の処理だと聞きました。

手は最も大きな障害です。フルショット(全身が入るショット)演技がとても大変なんですよ。正直バストショットは真実性を持って目つきで表現すれば伝わるんですが、フルショットは目つきが見えないじゃないですか。体に力が入っていると、駄目だし手の先にも感情が出るのでフルショットを見ると全部ばれます。わたしもポケットから手を出すまでとても長い時間かかりました。このようなとき手を切ってしまいたいと思うのですよ。ポケットに手を入れる演技、本当に見るのが嫌な演技の中のひとつなんですが、本人が分かっても手を処理する方法を知らないのでそういうことですよ。演技者がフルショットでポケットに手を何回入れたり出したりするか、数えてみると面白いと思い

<俳優は陳列された商品>

-SBS6期公採タレントになる前は演劇をされたんでしょう?お酒も飲まずに練習ばかりしていたと思うんですが。

家の反対を押し切って演劇科に進学したので両親に一生懸命するということを見せなければならなかったんですよ。一生懸命勉強して4学期の間80%程度奨学金をもらいました。私のように学校と図書館だけにしがみつくことはまれなんですが、先輩たちに「そうだといって卒業してすることがあるんじゃないか。先輩たちにちゃんと付いていけばいいんだよ。」という話をよく聞きましたが、聞き流しました。当時私は演劇がしたかったので、出世を早くしたくて歩きまわって酒を飲んで付き合いたくありませんでした。
その時学校にタレントの先輩たちがきたら後光が差してました。かっこよかったんですが、公開オーディション合格タレントという事実だけが成功の基準だったんですよ。「君たち、やあ!」と言えばみんな卒倒してましたけど、僕は押し黙っていましたよ。そうするうちに劇団生活をしながら少し分かってきました。コーラスと端役だけずっとして見て、このたくさんの先輩たちを抜いて自分が劇団である程度の地位まで行こうとすれば、とても長い時間がかかるということを切実に感じましたよ。

-劇団の道が終りが見えなくて、TV局に視線を変えたのですか。

考えてなかったんですが、義理の兄が願書を出しに行ってくれましたね。そのまま忘れていたんですが、締切一日前、義理の兄がSBSの近くまで行く用事があって受付するから写真を持ってこいと言うんですよ。家のたんすの前で撮った写真を貼って出したんですよ。(一同爆笑)後で合格した友達らに聞いてみたら、スタジオで100万ウォン、50万ウォン出して撮ったって言うんですよ。貼るだけなのに全く理解ができなかったです。書類がとても多くて審査される方々がうとうとされたのか、のりがたくさん付いて、書類がついていったのか、(笑)面接の時は、正装したみなりを要求されたんですが、洋服が1着もなかったんですよ。前日市場で唯一店が開いていた洋服店に入り、サイズの合う服を買ったんですけど、いなかのおじさんも着ない田舎くさい洋服でした。それにベストまで合わせて着てオレンジ色のネクタイ締めて(笑)、本意ではなく、コミカルな人になったでしょう。周りはみんなF4みたいな花美男だけいるのに、それでも気後れすることなく私がすることはしてきたんですけど、受かったんです。信じられないでしょ。

-俳優の道を早く選択してわき目も振らず歩いてきて、永い間TV局の端役だけをするようになると、自分はどうゆう部類の役者なのか、どういう道を行かなければならないだろうか、思いは複雑だったと思います。

「こうしながら、どうして私を選んだんですか?」と聞くと「おまえはどこへ置いてやっても使い勝手がいいから」ということを聞きました。使い道が多いからということでしょう。最初から見た目が主人公ではなくて、端役として使う意図だったんでしょう。かっこいい友達は端役で呼んでおけばすごく目立ちます。ウェイターが主人公よりかっこよいと注意を引くじゃないですか。
でも私はウェイターの服を着ればウェイター、医者のガウンを着れば医者、<イム・コッジョン>で山賊の扮装をして行けば「あの子は本当に山賊か?」という声を聞いたんですよ。友達が電話でいつも撮影するので忙しいというんだが、いったいどこに出ているのか聞くんですよ。書いてあげたりもしましたよ。50分もののドラマで45分から50分の間に出るのでその時はトイレに行くな、俺が通り過ぎるぞ。(笑)映画オーディションを受ける時は私が出た短い場面を編集してビデオを提出しました。私がどんな俳優か、どういう道を行くのかを考えることができません。ただそれが私の道でした。俳優は陳列した商品です。桃が何個かあるんですがお客様が掴めば売れるということで、誰も掴まなければその場で腐るということでしょう。ひたすら毎日放送局へ出向いて挨拶しました。そうするうちにドラマ制作局というところが少し楽になったりもしました。助監督の先輩方が歓迎してくれてその方々のパスを持ってただで食事して、そんなことが良くて行ったんでしょう。知っている助監督の先輩が「今度映画をやるんだけど、おまえも一つしろ」と言うんですよ。台本をくれと言ったらセリフがないからやらなくてもよいというんですよ。(笑)「でもあらかじめ雰囲気をちょっと把握しなきゃいけないでしょ?」そうしたらいいよと。行ってみると、本当に雰囲気の把握をすることもなく後ろで行ったり来たりだけです。野外撮影1回出れば、野外費10万ウォンに出演料バウチャー(金券)をもらいます。同期同士で仕事を分け合ったり、一人にまとめて与えてご飯を食べたり酒を飲んだりした思い出があります。


<人物の本質に入っていく要素を探して>

-「鳥肌」が最初の映画でした。主人公の職業に慣れるために江東区(ソウル)でタクシー運転手を一ヵ月間なさったそうですね。

28日程度したようです。私が引き受けた人物が若干異常な性格だったりもして、他の要素があったのですが、そういうことは先に準備できない部分なので、タクシー運転手という職業を経験してみようと思いました。お客様をのせたシーン、会社で同僚といる姿が映画に出るのですから。

-俳優ごとにキャラクターに侵入する入口(迫り方)があるということのようですが。話し方からマスターする俳優もいて、歩き方で感をつかむ俳優もいて、キム・ミョンミンさんは職業ですか?

人物によって異なるでしょう。その本質に入っていく最初の要素を探して、天才外科医で毎回手術シーンが出るならそれが最優先でしょう。手術を自由自在にできなければ性格を表現しよとしてもアクションが妨害します。台本はぎりぎりに出てくるのに、手術しながらセリフも言って、感情表現もして、相手役とトーンを合わせて、監督のディレクションまで反映しようとしたら、ダブルアクションはすべてすれ違って、間が抜けてしまうのです。つまり私が演技する人物がいつもやっていることが何かをとらえることが重要です。

- 「鳥肌」当時TV演技者として初めて映画をして物足りない経験とか適応する辛い状況はなかったですか。

今もそういう考えをされる方がたくさんいますが、当時は映画俳優は俳優でTV演技者はタレントとしてはっきり区分される方が多かったですね。映画人たちだけの自負心が強かったのでしょう。監督がおっしゃる時も「ジニョンは(相手役チャンジニョン)映画をたくさんやったからわかるだろうけど」と話を切り出したりしました。後で私が先に「監督、私は映画をしたことがないのでわからないですけど。。。」と言って口を開きました。

-撮影したり出演を決定したいくつかの映画の製作が中断されましたね。「選手カラサデ」と「ビッグハウス タッコム」、そして負傷までした「スタントマン」があったでしょう。このような事態が繰り返されて俳優として私がその原因の一部ではないかと悩んだりもしたようです。

一部ではなくてすべて私のせいだと考えました。
「スタントマン」は予算が60億ウォンを少し超えたんですが、85%ぐらい撮って中断されたことは本当に話にならないですからね。15%が投資されず完成できないということは俳優に価値がないということでしょう。監督はそのようにおっしゃらなかったですが、私自らそのように考えて同じような噂も聞きました。当時先に出た「マッチ売り少女の再臨」「アーユーレディ?」「イエスタディ」が引き続き失敗して投資家達が手をひいたりもしましたが、俳優がトップスターで残念だと考えたら十分完成することができたんですよ。


<賞賛と不信、すべて演技に弾力を与える>

-「不滅のイ・スンシン」を撮影する時 キム・フン作家の「剣の歌」をいつも持って通い、読まれたという記事を読みました。人物の内面的トーンをすべて捉えるためだったんですか?今も記憶に残るフレーズはありますか?

 「剣の歌」はイ・スンシン将軍の心理がとても表現されていて人物を理解するのにものすごく助けになりました。いわゆる「倭軍が吹雪のように押し寄せる」という表現は状況描写ですが、それを見つめる将軍の感情が入っています。悪夢を見る場面は今も記憶に残っています。

- 「不滅のイ・スンシン」はなんと104回にわたる大作でした。そのうえイ・スンシンはひたむきな人物じゃないですか。長い時間イ・スンシンを演技しながら俳優として苦痛や喜びも人物のそれと軌道をともにしたんですか?

 50回頃 私が体についた癖を表面でだけ反復しているということを感じた時一番深いスランプに落ち込みました。ある程度技巧ができて、細かい心理描写が必要ない普通の場面ではただ暗記したまま読む私の姿が感じられるようになったんですよ。土日に2冊の台本が出るんですが、私は月曜日朝7時から明け方までスタジオ撮影を仕上げて全羅北道プアンに下りて火曜日から船に乗る場面、野外場面を全部撮るんですよ。月曜日にスケジュールを見て消化する分量がとても多く吐き気を催すほどすべてイ・スンシンの撮影分だったんですよ。私はずっと座りっぱなしで、相手の配役だけがずーっと入れ替わり入ってくるですよ。私の分量が80%以上なので私がNGを出したら1日スタジオ撮影が終わらないです。その時食道炎が生じました。そういう生活を何か月かしてみると、本当になるんですね。どんな感情だったか振り返る暇もなくて、本当に演技できないと思い、非常につらかったんですが、内心をしらない人たちは「や~、もう君は完全にイスンシンだな」と称賛するんですよ。はは。ですので自分が感じる演技の満足度と他人の眼は完全に違うんです。

-「不滅のイ・スンシン」当時、あるインタビューで「鎧の重さ」という言葉の代わりに「鎧の深さ」という表現を使いました。特異だと思いました。

劇中、私が階級に合わせていろいろな種類の服を着たんですが、服ごとに実際重さが違いました。いよいよ水軍統制師の服を着た時、重さも最も重かったんですが、それ以上の深みを感じました。統制師になったイ・スンシン将軍の心的深さでしょう。壬申倭乱勃発以降、すべての戦闘とそれに伴う将軍の葛藤と不安が込められていたんですよ。

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-「不滅のイ・スンシン」制作ドキュメントを見て、テイクの間NGのためにおかしい状況が発生しても、他の演技者たちと違い、キム・ミョンミンさんは思い切り顔をほころばせなかったんですよ。

ウハハ、笑ってすぐにまた(重さを捉えた声で)「お前たち!」は駄目じゃないですか。
良いという方がおかしくないですか?
それでも演出家が時間を十分に与えて「みなさん笑いましたか?では撮影に入りましょう」ということもないですし。(笑)すぐどこでキューサインが出るかもわからない状況で軽率に笑ってトーンをはずして前のテイクと合わなかったら、大変なことですから。そういう余裕がある俳優がうらやましいですが、私は無条件でダメです。

-前に演技の成敗に自信感が決定的に影響を与えるというお話をなさったではないですか。でも演技者の自信感は、視聴者や観客の称賛に大きく力づけられると推測します。そういう面で演技力を初めて広く認められた「不滅のイ・スンシン」以降に演技自体が弾力を得たという面はないですか?

称賛と不信、二つとも演技に弾力を与えます。他の人たちがまったく期待しない時でも、それなりにエネルギーを貰います。「不滅のイ・スンシン」をやる前にものすごくいろいろ言われたんです。インターネット用語で何だっけ?「なんだかさあ、聞いたことも見たこともないやつが、いきなり出てきてイ・スンシンをやるなんてとんでもない。」という話を本当にたくさん聞いたんですよ。でも私はむやみに称賛を受けるといってちゃんとやるスタイルではないです。私をかっとさせる何かが必要だったりもします。それで私は「テムパン(代役)は気にしません。「テムパン」というのは、ある俳優がこの役をすると。記事まで出た後に、その人の代わりに私が演技するようになるという状況を言うんですが。普通俳優たちが自分が(キャスティング)1順目でなかったという事実をみんなが知っていることを嫌います。私はそこに大して気を使わないです。「不滅のイ・スンシン」初期にはあまりにも期待されなくてむしろ気楽でした。さらに失うものがないじゃないですか。「不滅のイ・スンシン」以降、良い評価を受けましたが、その次も心配が多かったです。少し前でも、現代劇の助演をした演技者だから時代劇が似合わないといった方々が、今あいつは時代劇だけ似合うので、次の作品が大変だと憂慮しました。周りはいつも心配だらけですよ。そこに神経を使っていたら、何事もだめです。


<チャン・ジュンヒョクは多くの共感受けたキャラクター>

-「不滅のイ・スンシン」「ベートーベン・ウィルス」でキム・ミョンミン氏が演じた人物はすばらしいリーダーであり、演説家でした。雄弁、すなわち典型的イントネーションの、現実的ではないくらい、うまく組まれたセリフは聞きづらいじゃないですか。そういうセリフを説得力あるように伝えようとしたら何が必要ですか?

まず、訴求力のある声の恩恵があります。ふたつめはどれだけマイクの性能が優れていて、小さい音まで拾ったとしても、俳優が自分の前に100名がいるのか、千人がいるのかに合わせる声を出すことが重要だと思います。監督に聞いてみます。この場面で私の前に兵士が何名ぐらい配置されるんでしょうか?「今、エキストラ俳優が500名来たんだけどCGで千名にするよ」そうすれば壇上に上がって千名を基準に発声します。
今のように記者さん一人に話をする私のトーンと、3、4名を相手に話をするトーンも違いますから。距離にもよりますし。千名の兵士に力を吹き込まなければならないから呼吸もさらに深く発声もさらに大きく出すでしょう?最後列の兵士まで私の声が激励する力にならなければなりませんので。後列の兵士が聞こえなくて、「あ、将軍、いま何て?」そうするとだめじゃないですか。(一同爆笑)
マイクのボリュームもちゃんと調整しますが、俳優がマイクに依存してひそひそと演説したら視聴者にもそのまま伝わります。

-指揮者、団体のリーダー役を格別よく引き受けます。それだけではなくドラマ「不良家族」でやくざのオ・ダルゴンに扮する時でさえ人々を集めて計画を指示して指揮する役だったじゃないですか(笑)

人々に最初に印象に残った役割がリーダーシップという点で右にでるものがない(くらいリーファーシップに長けた)イ・スンシンをやった影響があるということでしょう。生れながらの私の性格も少し影響がありますし。仮に多くの人が集まって何か食べに行こうと相談する状況になれば、満遍なく聞いてみたあげく、結局私の意見のままにするようになります。独断を行使したいからではなくて、普通「何でも」という答えが多く出るからですよ。だから決定は私がするようになることが多いです。

-「白い巨塔」のチャン・ジュンヒョクは終盤に胆管ガンにかかります。その設定がなかったとしても彼が崩れることを私たちが実は望まないでいたという事実を知っていましたか?

それほど大きい同情はしなかったけれど、正直病気でなかったとしてもチャン・ジュンヒョクに共感する方々が多かったです。助教授時代からチャン・ジュンヒョクに肩を持つ視聴者が多かったです。外科科長になった時多くの方が喜んでお祝いの電話と花束をもらいました(笑)。視聴者がチャン・ジュンヒョクに感情移入するんだなあと思って大変うれしかったです。チャン科長は悪者ではないんです。彼を演じた私はさらにそのように考えます。もどかしかったのは彼に反対する側の人達でしょ。

-法廷場面を思い出すんですよ。後輩医師のヨン・ドンイルが証言を覆す瞬間、チャン・ジュンヒョクの表情が衝撃や反省の色彩を帯びるのではなく「なんでそんなに愚かなんだ!」という風でした。(笑)

(チャン・ジュンヒョクに)たぶん ヨン・ドンイルや、チェ・ドヨンのように生きろといったらもどかしくて死んでしまいますよ。家族も苦労するでしょう。

-確固とした信念があるんですね。(笑)専門家のキャラクターを演技してみると広域捜索隊の刑事と捜査権問題について話をして医者と新しい手術方法を論じる経験もあったと読みました。専門家世界をちょっと味わった気分はどうでしたか?

俳優の特権でしょう。勉強と読書が不可避なため、常識と知識が増えて少し成熟するように思います。おかしいですけど、たとえば医療紛争が起きたら、医師の側に心が動きます。誰かが病院に行ったのに3時間待たされて何分かしか診療を受けられなかったと不平をいうんですよ。それで、「それなら藪医者に行け。名医はもっとたくさんの命を救わなければならないんだから一人に割くことのできる時間が多くない。おまえに必要なのは慰労か?完治か?」とめちゃくちゃ興奮して言うでしょう。(笑)


<人為的だという反対を押し切ってカンマエ外観設定>

- 「ベートーベン・ウィルス(ベバ)」」のカンマエはキム・ミョンミンさんの演技の中でもっとも非現実的で表現主義的な演技をしたキャラクターだったと思います。インタビューで「韓国にいない人物を作りたい」と言ったんですが、具体的に説明していただけますか?

 「ベバ」の台本をもらった時は当惑しました。他のキャラクターは現実的なのにカンマエのセリフはすべてとても非現実的で、マンガに出てくる言葉でした。どうすればいいのか悩でいて、ふと外国映画を思いだしました。特に「アマデウス」「不滅の恋人」のような音楽映画、そして古典主義時代を描いた西洋歴史劇などに登場する人物たちがカンマエとそっくりなんですよ。なので正直踏襲しました。外国映画は他の文化圏キャラクターなので観客が自然に受け入れるんですが、カンマエは韓国のキャラクターなので拒否感はあるかも知れないと覚悟しました。

-前作品「白い巨塔」のチャン・ジュンヒョクのようなカリスマ型キャラクターであるほど差別化も悩みになるでしょうね。眉毛、ヘアスタイル、ダブルボタン、正装など、扮装と衣装に対しても意見を出したんですか?

男性俳優は外見に変化を与えることができる要素が多くないです。ヘアスタイルがせいぜいでしょう。でも私が見た限り偏屈な指揮者たちは眉毛が皆上がっているんですよ。なので、人為的だという周辺の反対を押し切ってそのようにしたりもしました。「作為的に作ること。周りで見たことがない人物を作ることが私の目標」だと思いました。
皮肉なことにドラマが放送されて出ると、音楽をされる方々が「うちの指揮者先生とそっくりです」そういうんですよ。(笑)


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-本本当にカンマエは外国映画の吹き替えのようなセリフを言うという印象を受けました。トーンが声優の外国映画の吹き替えとそっくりな発声は口蓋を舌の後ろの方で塞ぐような声なんですが。ドラマの中でずーっとその声を維持しながら作為的な感じを克服する自信があったんですか?

「ベバ」を思いがけなく一度見た方々は「今の何?不自然で、なんでああなんだ?」と思えることもあったでしょう。普通指揮者は楽器を勉強した方もいて声楽をした方もいます。
カンマエは基本的にピアノをやった人ですが、私はそこに声楽を加えました。声楽をやった人は話をしても少し「オーバー」になります。チャン・ジュンヒョクがいまの私と同じトーンで話をするとしたら、声楽の方は日常的な言葉もいつもおなかに力を入れて話します。(だしぬけにカンマエの声色で)「あ、そうですか?では私が明日参ります。」というんですよ。(一同、驚く)
もうひとつは、セリフのスピードです。アメリカドラマに熱狂する理由はセリフが早いからです。同じ長さの韓国ドラマより台本がものすごく分厚いでしょ。私はセリフを度を超すほどゆったりと吐き出すやり方はちょっと気に入らないので早くしようと心がけました。後半、台本は遅く出てきて、長いセリフはねじれて、設定を後悔したりしましたが、そうだからと、キャラクターを変えることはできないでしょう。(笑)

-カンマエという人物は指揮台に上がって団員を見下ろしながらセリフを言う場面が多いです。

 副作用があります。いつだったか100余名のファンが撮影場を訪問したんですが、私が自然と壇上に上がって見下ろしながら話をしていたんですよ。(一同爆笑)私がどうしてこんな?そう思いながらまた下りました。実際そういう場面は俳優にとって負担になります。みんな座っていて一人でしゃべってNGを出すときは非常に恥ずかしいですから。


<俳優は多くのことを知っていなければ>

-子供のころから演技をしましたが、それでも俳優として決定的なハードルがあると思います。どのように人の目を意識せずに没頭できますか?

自信感が生まれれば何も見えなくなってひたすら私がしようとすること、私の中にあるものだけ考えます。反面不安だと、あらゆることが見えて、気を使うでしょう。見る人の目にもそのように映ります。私の耳に私のセリフが聞こえるのは良くないことです。私の口で言葉を言いますが、振りかえって見れば、何かを話していたのかわからないのが、ちゃんとできたことなんです。私の耳に相手のセリフだけ聞こえなければなりません。

-分類すると、役割の中に入って自分を消そうとする類の俳優です。しかしカメレオンになることには物理的限界があるじゃないですか?自分が持つ肉体的限界があって、自分の中に役割と共鳴する感情があるのかないのかによっても限界点があると思うんですよ。

限界点は明らかにありますが、克服する方法がいくつかあります。台本を見ると語尾がおかしくて私の口にあまりにも合わない時があるのですが、私はどっちに転んでも(結果に関係なく)そのままします。万が一セリフを私の口にあうように変えたらキム・ミョンミンが見えるだけなんですよ。楽なことはそれだけすでに私がしてきたことだという意味ですからね。作家がセリフを書く時は語尾ひとつ、所作ひとつに意図があるんですよ。私は助詞ひとつ変えずにすべて覚えます。そうすると、キム・ミョンミンではないその人物がいつのまにか作られるのです。

-メソッド演技はキャラクターに符号する情緒的記憶を探そうと非常に努力します。自分の中で役割と関連した感情を探す作業と、役割を自分が知っている感情に合わせるのは違うでしょ?

完全に違いますよ。正直私もずいぶん前までは涙を流すシーンであれば母が亡くなることを想像したり以前悲しかったことを思い出したりしながら、涙を作りだしたんですが、そのようにすると私がどんな役をしても泣くシーンは涙の実感が同じようになります。そうではなく、カンマエが泣くならどんな風に泣くかをまず考えなければならないことでしょう。涙がたまるか、そぶりを見せないように努力するのか、状況にあわせるので簡単になりました。

-好きな俳優としてロバート・デニーロに言及したことがあります。デニーロの演技がいつも最高ではないんですが、どの時期のデニーロをおしゃっていますか?

「怒れる牛」「タクシードライバー」のデニーロでしょう。まあ「ヒート」もいですね。デニーロはものすごく懐の深い俳優なんですけど私生活はちょっとややこしいでしょう。名俳優はそのようなところがちょっとありますね。すばらしい俳優はあたかも必ず私生活が複雑ではければならないかのように。でも私はそういう風にしたくはありません。

-人生を放棄してまで演技のエネルギーを持ちたくないということですね。

以前「おまえはあまりにもくそまじめで問題だ」という話を多く聞きました。でも私は芸能人たちだけでお酒を飲む時間が正直本当にもったいないんです。ただ酒を飲む。残るのは胸やけだけ。そういう時間に本を読もう、映画を1本でも見るということが勉強になると思います。

-勉強になるということはわかりますが、楽しくそのようなことができないんですか?(笑)

もちろん私もそういう時がないわけじゃないです。でもそういう生活をしてこそあたかも本当に俳優の生活である様に見る視線(考え)には同意しないです。
今まで(私に)影響を与えた重要な記憶がひとつあります。中学生の時私はやたらと出歩くことが好きで友達を集めて遊んでエンジョイしていました。オフライン(舞台の外)の性質(気)でしょう。でも学校演劇クラブにものすごく物静かでいつも本を読み文を書く子がいたんですよ。
彼と一緒に演劇をした瞬間ものすごくびっくりしました。その彼の中のエネルギーは遊びではなかったんでしょう。その時衝撃を受けて、今も肝に銘じていることが、オフラインでの性質(気)とオンライン(舞台の上)の性質(気)は違うということですよ。よく遊んで弁才がありながら、演技もうまいという人もいますが、遊びだけうまい人たちもものすごく多いですから。それで俳優は知識が豊富でなければならないと思います。時間が経つほどに勉強する時間が足りないと感じます。

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追記:口角をゆがめた口元。するどい三白眼。目を上にあげると現れる11本の額のしわ。キム・ミョンミンの顔には冷笑がよく似合う。すぐ喜ぶことも、簡単に落胆することもしない人のようだと言うと、キム・ミョンミンはうなずいた。「マネージャーが嬉しいことがあって喜ぶと、落ちつけといい、悪いことが起きれば予想したほどではないと言います。シニカルだと周りは言うでしょう。」放映中のドラマが好意的反応を受ける場合でも、仕事をしている間は幸福を感じることはありえないというこの俳優が感じる満足感は「心配したことよりは大丈夫だった」がせいぜいだ。彼は良い演技のためにものすごく気をもみながらも失敗を想像して怯えない。「私でも失敗することはある。」端役演技がすべてで退屈だった時期を「卵を岩にぶつける(焼け石に水)の時期」だったと描写しながら、当時自分を無視し、侮辱し、崩れるように助けてくれた人たちに感謝すると断固として言う。もしかしてと、顔色をうかがってみたが、ひねくれた様子はなかった。そこには、結局人生はすごく短いと考える人が持つことのできる、余裕ある冷笑があるだけだった。

翻訳:SAMTAさん、、感謝します~♪
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