“準備過程が切実だったが資料があまりにもなかったです。 ただルーゲリック病患者に直接会えて話を交わして状態をチェックした後、保護者の事情を聞いてから自ら整理をしたのが全てでした。 いくら真似てみても減量しないで力が残っていると感じががわからないです。 ルーゲリック病患者という病状により性格がどのように変わるのかもよく分からない、とても不安でした。 それでひとまず撮影に入ってからは徹底的にルーゲリック病患者で生きなければならないと決心しました。 劇中でジョンウはインターネット ショッピングをするのが唯一の趣味になるので中盤部以後には私もやはり宿舎でインターネット ショッピングをしていましたよ。(笑) 私も驚きました。 (自らずっとカーテンをおろして)光さえ入らなくなった宿舎で私ができるのはそれしかなかったのです。 ホテルで一日だいたい二時間だけ寝て残った時間を過ごすことができる唯一の楽しみがインターネット ショッピングだったのです。 インターネット ショッピングを本当にたくさんしました。 毎日宅配の方が訪ねてきましたよ。(笑)”
-主に何をお買いになったんですか。
“スピーカーについて何日かかけて調べた後、安くて良いものを選んで買いました。 そのように一つ二つ購入してみたら後日には宿舎にホーム シアターが構築されましたよ。(笑) 着ようが着まいがTシャツとズボンもたくさん買いました。 痩せてみたら私に合うサイズのズボンがなかったんですよ。 体重をたくさん減らしたというけれど自らからだを見る時はそれほど差がないように見えたので確認するために27サイズのズボンを買ったりもしましたよ。”
-そのように到着したズボンを履いてみた後に非常に満たされたでしょうね。(笑)
“おお、これが本当にピッタリ。(笑) 目で確認して自ずから証明されるんです。 そのように何度も着ればまたその間に体重がさらに減ってそのズボンも合わなくなります。 それで明日着るズボンを買わなければならないと考えてまた楽しくなるんです。(笑)”
-からだの状態に深刻な無理があり得る20kgの減量とは本当に俳優としてものすごい準備姿勢ではないのかと思います。 その部分に対して多くの方々が感心してまた拍手を惜しまないでいますね。 誠実な姿勢に基づいたキム・ミョンミン氏の演技が賛辞を受け入れたのが昨日今日の話ではありませんが。
“私には負担になるほどです。 他の俳優の方が見れば‘我が国に俳優があの子一人なのか?’ということです。 不快な方々もおられるでしょう。 俳優として私はとても過大評価されています。 多くの方々が演技をよくやり遂げるために努力してまた誠実に過程を経ているのに唯一私の過程があらわれてある瞬間からそうなったようです。 以前にはそのような反応に接する時ごとに本当にきまり悪かったです。 でも今は私に送る拍手が私の優れた演技力に対するものでなく‘あの人は俳優として本当に熱心に生きる。 私もあのように生きなければならないけれど’という心でそうされると分かって受け入れるから心がちょっと楽になりましたよ。”
-私は‘私の愛私のそばに’を見てキム・ミョンミン氏の誠実さと演技力に驚きながらも他の一つにはこういう気がしました。 この映画ではジョンウというキャラクターがみえなくてルーゲリック病患者だけ見えると思うんです。 ジョンウがどんな人なのかよく分からないという感じだといいましょうか。 病に罹る患者だけ見えてその病に罹る人物自体が見えないならそれが劇映画でどんな意味があるということだろうか疑わしくなりましたよ。
“そのように感じたのは恐らくとった場面が編集過程でたくさん削除されたためでないかと思います。 それは監督の意図でもあるんです。 そのような部分に対して描写した場面を除去してもう少し速度感あるように進行したかったのでしょう。 ジョンウの感情よりは6人病室の雰囲気や尊厳死に対するものなどをもう少し詳細に見せようとしたこともあるようです。 監督はこの映画を通じて表現しようと思うことをまんべんなく表わされたようです。”
-患者のように見えるということと患者としてよく演技するということは別であるということもあるのではないでしょうか。
“そうです。 だが私には観客が劇中の俳優の姿を見て演技という気がしてはいけないという考えが最初です。 ひとまず患者のように見えるならば以後に俳優がどんな演技をしてもみな信じるんです。 それでドキュメンタリーを見るように没入できないでしょうか。 ‘あの人がどれくらい痛いだろうか’と真正性を感じるなら観客も共に痛く感じて苦しみます。 私は二つのうちで一つを選ぶべきだとすれば‘患者のように見せるべきだ’を選びそうです。 もちろんその演技が国語の本を読むようにする水準ではダメですが。(笑)”
-ニコラス・ケイジは‘バンパイア・キッス’であえて必要がないのにゴキブリを直接口に入れてかんで食べました。 坂本スミ子 は‘楢山節考’で演技のために生歯を石で打って破ったりもしましたし、こういう劇的な事例に対してどうに見ますか。
“ニコラス・ケイジや坂本スミ子は演じながらそうしてこそ本質に入ることができると考えたでしょう。 それならばそうしなければならないですね。 それは私も同じことです。 あえて体重を20kg減らして役を消化する必要があるかという疑問がありえます。 でも私にはそれが本質に入る最初であり最後の道でした。 違う道はないです。 その俳優もそのように考えたでしょう。 ゴキブリをかんだのとかまないのは後で見れば途方もない差です。 観客は本当に疑いが多いですね。 だが‘戦場からの脱出’でクリスチャン ベールがウジに似た虫を食べる場面を私が観客として見るなら、それが虫ではないかもしれないという疑いが全く入りません。 これはクリスチャン ベールですから、そのような信頼があるんです。 ベトナム戦で捕虜になって体験するあらゆるぞっとしてじめじめした状況がそれを食べる場面一つでみなあらわれます。 監督があえて説明しなくてもその場面だけで皮膚にさっと感じられるんです。”
-俳優が役にどの程度まで一致させるべきだと思いますか。 例えばいくらものすごい俳優でも殺人者キャラクターをまともに消化するために殺人を経験することはできないですね? 患者役をするといっても患者に見えるように痩せることはできるがその病気自体にかかることはできないです。 マラソンでテープを切って入ってくる場面を演技するために撮影直前まであらかじめ42kmを走ってくることはできないではないですか。
“私が持った限界と時間の制約の中で最大限近接することです。 普通、役割を消化できる時間が3~4ヶ月程度が与えられます。 そのような時間的限界の中で私が持った限界を克服してみるものです。 役割を受け持つ時最も注意しなければならないことがまさにその点にあります。 3~4ヶ月の間どれだけ近づくか。 結局は練習量でしょう。 テープを切って入ってくる場面を演技するために42kmを完走することはできないでしょう。 だがその場面を突然撮ることもできない。”
-その場面を演じるならどうしますか?(笑)
“私なら午後に撮影をしようとお願いして、お昼を早く食べて2~3時間をずっと走っておくでしょう。(笑)”
-確かにキム・ミョンミン氏はそのような場面を撮ることになれば、前もって他の俳優より最小限3~4倍はさらに走ってきそうです。(笑)
“私はからだに感じがくる時と来ない時が完全に違います。 そのままふりだけすれば何か直ちにばれそうです。 私もマラソンをしてその感じが分かります。 私の足の裏が私のものではないようです。 低体温症も訪ねてきますよ。 そのような色々な感じがあるのにそれを無視することはできません。 マラソン選手とは違い殺人者役を受けて殺人をすることはもちろんないでしょう。 私が言葉どおりルーゲリック病患者になることもできません。 それさえもそのようなふりだけするんです。 ただしどれだけそのようにするかということです。 万一私が殺人者役を受けるなら殺人者に会って対話をするでしょう。 ‘人を殺す時、どういう気持ちなのですか?’のような質問をしてです。”
-殺人者役を受ければ本当にそのような過程を経られそうですか?
“はい、私はそうだと思います。 知り合いの刑事の方を探してお願いするでしょう。 ちょっと恐ろしいですが。”
-それから本当に凄じい演技が出てきそうですが?
“必ずそのような過程を経なければならないようです。 間接的では想像が出来るが直接聞くこととは違うでしょう? 事実の人々は誰でも心の中で誰かを殺したい時があるようです。 運転する時もそのような気持ちがいきなり押し寄せたりもして。 周囲に唯一いやな人いることもある。 それを演技を通して間接的ながら代理体験して見ることができるということは俳優の職業が持った特別な側面です。 その瞬間だけはもちろん演技だが刺してみてもかまわないということじゃないの。(笑)”
-聞いて見たらうらやましいというよりはぞっとするんですが?(笑)ルーゲリック病はどうでしょう。 それは役をやり遂げても代理満足がないわけではありませんか?
“ないです。 苦痛だけあるだけでしょう。 それで恐らくルーゲリック病を扱った映画が以前になかったようです。 役を引き受けていくら資料を探してもそのような映画はなかったんですよ。”
-‘私の愛私のそばに’の序盤場面でジョンウはチスに自身の病気に対して“あっ、ルーゲリク? といって何、 寿命がだいたい2年残ったか?”と何ともないように話します。 万一今から人生がぴったり2年だけしか残っていない癌患者ならどのように暮らしたいですか。
“劇中で死んでいく役を受け持って本当にリアルな演技をしながら死にたいです。 私の病気をまともに使うことができる機会じゃないの。 万一私が癌患者なのに劇中配役が癌患者なら実際と演技が完全に一致した状態で病の進行過程に合うように演技をすることができるでしょう。 癌患者で扮装する必要もなくて良いでしょう。 それと共に映画のラストシーンで私が引き受けたキャラクターが死ぬ時、実際に俳優の私も死ぬのです。 どうせ私が癌患者として死んでいっているのに俳優としてそのような状況を使えなければ惜しくはないですか?”
-キム・ミョンミン氏は本当に恐ろしい俳優ですね。(笑)
“そうではありませんか? ただひとつ、封切りを見られないで死ぬのが惜しいけれどそれでも何、そのような演技を最後に残すことができるからです。”
-それなら今回も‘私が実際にルーゲリック病患者ならばどれくらい良いだろうか’と望んだことがあったかけたのですか?
“はい、本当にそうでした。 ルーゲリック病患者の方に会ってあまりにもやせこけているからだを見ればそのように病気を得ても痩せたかったことでしょう。 ところで切実に望むから本当に体重が落ちる事は落ちましたよ。(笑)”
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