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イ・ドンジン 集中インタビュー (2)

キム・ミョンミンの苦痛と楽しみ 

キム・ミョンミン



















封切り前から‘私の愛私のそばに’にあふれた評壇の多様な評価を見てどんな考えをしましたか。

“皆期待をたくさんされたようです。 その点に対して本当に感謝申し上げます。 期待が大きければいくら立派な作品でも失望する部分もあります。 良い評価もあってそうではない評価もあるが‘私の愛私のそばに’は外部の評価と関係なく皆が力を合わせて作った作品であることは明らかです。 今私どもはこの映画でひとつの評価を受けているようです。 その以上でも以下でもないです。 評価を切下げされたのもなくてその反対もないようです。”

-‘私の愛私のそばに’という映画を置いてすべて減量にだけ記事と話題が集中する状況に対しては物足りなさや負担感がありませんか。

“それは仕方ないようにします。 ひとまず記者の方が記事を書くためには色々なソースがあるだろうがその中で最も書きやすいのが減量ですから。 書くことになれば反応が直ちにくるのが減量記事なのにどうします。 読者は読みたいものだけ読むから結局読者が減量に対する内容を見たい計算でしょう。 そしてどうせ大衆映画はより多い観客が訪ねるようにしなければならない状況で減量に対する話が観客の方々をもう少し強力に劇場に呼び起こすことができるということです。 それがまたトリックでなく事実であるから仕方ないです。 私が物足りなさを表現するといって変わることもないでしょう。”

-封切りを控えて俳優が‘膝打ち導師’のような芸能番組に出演する例が多いがキム・ミョンミン氏はそのような席を敬遠されるようです。

“わざわざ出て行かないのではありません、出て行っても特別に話す話がないためです。 他の人々を笑わせる才能もないし。 私が視聴者でTVを見る時もそのような席に出演して笑わせることができない人を見れば非常にばつが悪いですね。(笑) そのような席ではどうしても俳優の私生活を主に心配していているのに私にはお知らせする程すごい私生活もないです。 私があまりにも退屈で退屈な人ですから。(笑)”

-演技をして演出者と意見が違う時も多くはないですか? そんな時はどのようにされましたか。

“違う意見があってもパク・ジンピョ監督はその場で俳優がうなずくほどの話をして下さいます。 監督の話に説得力がなかったとすれば多分そのように演技ができなかったでしょう。 俳優が納得が行かなければ演技できませんね。 でも監督の話はだいぶ力があったのでその意図のとおり演技しました。 私の意見も確かに受け取って下さいましたし。”

-‘私の愛私のそばに’の導入部で黒い喪に服して登場した最初の場面からその顔が私が知るキム・ミョンミン氏の姿とかなり異なって驚きました。 この映画撮影にちょうど入った時の心がけはどうだったのですか。 どのように演技することに決心されたのかです。

“人間キム・ミョンミンが持つこともできる邪悪さを含むすべての悪いものをみな取り出してきれいな気持ちで臨みたかったです。 女たちが妊娠すれば良いように良い考えだけして胎教に良いということはすべてするでしょう? そのような心情でした。 しかもその初めての場面は母をちょうど送った純粋な青年の心が表現されなければならない大きな課題だったからです。”

-‘私の愛私のそばに’の後半部場面では身体の状態があまりにも良くなくてどのように演技をしたのかよく思い出さないといいました。 方向感覚も失って人もよく理解することができなかったそうですね。

“その時はただくることがきたという考えしかありませんでした。 医師と相談をしたら狂ったことだと言われましたよ。 私の身体が本来脂肪があまりない状態だったというのに、そのような状況で急激に痩せれば低血糖をはじめとする色々な症状が順に襲撃してくるということでしたね。 さすがの時間が経過すると医者が警告されたことがみなきました。 だがすでに知っていたので慌てないで当然のことと受け入れました。 ますます症状が激しくなるとそのような考えはしましたよ。 寝て目を覚ました私が起きられなければどうするか。 なぜなら席に横になったのにずっと天井が回りました。 空中に身体が浮いているようだったんですよ。 それが撮影会場でも続いたのです。 その一方ではそのような感じを受けることができて幸いだという気がしました。 そしてこれが人間の弱気な限界なのかと思ったりもしましたよ。 この程度にこのように崩れるふるまうようだったんですよ。”

-俳優はいくら劇中の役に没頭してもそのすべての演技を自ら統制しているべきではないだろうかと思う疑問を感じたりもするんですが。

“私としてはそのような感じをのがしてはいけなかったですから。 それが私の最善でないかしたいです。”

-役に全て没頭するために宿舎でもカーテンを垂らして室内を常に暗くさせられたといわれたでしょう? そして撮影期間中ずっと不眠症とうつ病を耐えられたうえに家族とも完全に連絡を切ってお過ごしになったんですって? ややもすると健康に致命的であることもある体重減量だけでなく精神的にも荒廃することこの上もない状態で自らを追い込まれた計算なのに必ずこんなにまでしなければなりませんか。(笑)

“そのような行動や状況造成が私が俳優をしようと思った理由ではちょっとの叶わなさもないようです。 そうでなかったら俳優の仕事をしなかったでしょう。 その瞬間は自らが利己的と考えることはできないです。 その時はこの世の中に私一人だけが立っていて、最も恐ろしかったことはまさに私自身です。 私がよくやり遂げようがそうでなくても、私の中にある私は正しくすることができなかった時に私をとても困らせますね。 最善を尽くせなければそれが最も苦しいです。 自分が情けなく感じられる時が多いが、そのなかでもそうする時が一番嫌います。 そうするうちにさらに努力をするでしょう。 私もちろんあまりにも苦痛ですが私が真正性を持ってカメラの前で演技した後に多くの方々がその姿を見て心が動くものを確認する時、私の苦痛は大したことでないと考えることになります。 その方が画面の中の私を見て感動を受け涙を流したというときは逆に私がさらに悲しくなり感動を受けます。 そのたびに気分がすっきりして自らさらにむち打つことになるんです。”

-その瞬間には仕事が家族でもはなはだしきは生命よりもさらに大切なのですか? これはちょっとバカな質問なのに演技だというのがもちろんあまりにも重要なことだがそれでもそこに命をかけるほどの価値があるのでしょうか?

“十分にそれ以上の値打ちがあると信じます。 私の寿命がどれくらいあるかは事実分かりません。 何か事故がおきて直ちに死ぬこともあるじゃないの? そんなことが人生とか人生のあらゆる分野で最善を尽くすことはできなくても少なくとも私が幼かった時から夢見てきたこの分野だけは最善を尽くして死んだという声を聞きたいです。 当時には家族が大変がるだろうが私が亡くなった後にはこういう声を聞くことにならないですか? ‘あなたお父さんはまともに生きていきました。’それで残った家族も満たされるでしょう。”

-亡くなって満たされることを抱かせるのも価値あることだが、世の中に残っている時家族に十分に気立てが優しく対してくれられるのも良くないでしょうか。(笑)

“平常時には十分に可能です。 ただし作品に入れば難しくなります。 撮影中には家族や友人と関係を切るのがむしろお互いにより良いこともあります。 お互いに助けなることが全くないですね。(笑)”

-今は家族も慣れたんでしょうね。(笑)

“その間には理解してくれて電話かけてきません。 3~4ヶ月の間どこへ行って死んでもよく分からないんです。 インターネットで時折私の消息を確認して安心するといいましょうか。(笑) 今回も撮影のために父の喜寿のお祝いに参加できませんでした。”

-そのぐらいになれば恨みもあり得ますよ。

“みな理解して下さい。”

-本当にすごいです。(笑)

“理解するのが家族も楽でしょう。 理解しなくても仕方ありませんから。(笑)”


キム・ミョンミン




















-キム・ミョンミン氏のファンたちは他のスターのファンたちとちょっと違ったようです。 愛よりは信頼がさらに重要な場合といいましょうか。 ところでファンたちが今回の演技のためにからだが大きく傷つかれたかと思って大いに心配されるようです。 特に命までかけたような挑戦に願望でない願望をしたりもされたんですよ。

“そこまで心配されなくてもかまわないけれど。(笑)
ひとまず、どんな努力の結果がそれだけ努力を傾けるほどの価値があることなのかをあらかじめ知って始める人はないということです。 その価値というものは結果が出た後の評価だけでしょう。 私にはそのように苦心して努力する過程が本当に重要です。 違った方々は私がどのように自分自身と戦ったのかに対して正確に分からないでしょう、それは恐らく水面上に平和に浮いている鴨が水の下で死力を尽くして足蹴りを継続するのと類似するんです。 私は私との戦いで時には勝機を捉えたり時には負けたりもして4ヶ月をそのように過ごしたのです。 ファンの方々が分からない私だけの達成度あります。 そんなことらが知らず知らず私にで入り込みました。 ファンなのでされる心配だと考えます。 その方たちが小鉢にそうしたとすればその心がとても感謝したことでしょう。 私より先に私の心を代弁して下さるようです。”

-一般ファンたちだけでなく記者が書く記事もキム・ミョンミン氏に対してとても好意的でしょう。

“私や私の事務室の人々は言論プレーということをしたこともなくて記者の方とご飯を食べたこともないのにかかわらず、ある瞬間私に対して書く内容を見れば‘この方がファンなのか’みたいです。(笑)”

-私の周辺記者ら中でもキム・ミョンミン氏ファンが少なくありません。(笑)

“表面に見える結果でなく長い過程で闘いをひとつひとつ認められる感謝します。 結果よりもさら貴いものを得ているんです。 目に見えるのはそんなに重要ではないようです。 結果に対して考え始めれば終わりがありません。 ‘私が狂ったことをしたんじゃないの?’ だがそのような後悔をする必要がないようにします。 それは私の選択がどれくらい愚昧だったかを自ら表わすこと以外ならないということじゃないの。 もちろん身体が以前のようなことはありません。 ちょっと壊れたが回復するでしょう。 医師は私の状態に対して一度壊れた身体は以前に戻らないと悲観的におっしゃるが、そうですね。 どうせ人の身体が100年を生きるように作られたのでもないではないですか。 生きて死ぬには大きい支障ないと思います。(笑)”

-初めて配役を引き受けてキャラクターを作る時どこから始められるんですか。 例えば私が感じるのに‘ベートーベン ウイルス’のカンマエには声で始まったキャラクターという感じをもったんですよ。

“本質が何かを把握するところから始めます。 カンマエの場合を例をあげますね。
彼の性格が角張ろうがとにかく、その全てのものをカバーすることができるのはカンマエが天才指揮者という事実です。 それで彼に似合う指揮練習が必須に要求されるんです。 ひとまず指揮をできなければ性格は何も効果がないということです。 天才指揮者を作っておいた時にはじめて彼が毒舌を浴びせようが何をしようが感じがくることになるものです。 カンマエがそこまでならなければならなかったことは彼が指揮が上手なためであることです。 語り口やヘアースタイルあるいは表情のようなものはその次のことです。 その役を担った俳優が指揮をできなければ視聴者たちを説得させることができません。 目にそっくり見えますね。”

-大部分の職業がそうですが、演技は特に結果が全てのものをいう分野であるようです。

“演技をしていれば数多い問題が生じたりもします。 私が台本を撮影直前に受けた場合もあります。 昨日夜にお母さんが亡くなった場合もあるでしょう。 だがそうしたのは誰も認められません。 目に見える結果だけで判断するんです。 ‘あの子が事情があって眠れなくて撮っただろう’と勘案してみる観客はないということです。 睡眠を1時間さらに減らし練習すればそれがそっくり見えます。 そのような努力が結局真正性を伝達してキャラクターを生き返るようにするんです。 むやみに‘便塊り’と悪口を吐きだすのに誰がカンマエというキャラクターが好きですか? ところがその場まで上がるようにした情熱と努力があったので魅力が生じるんです。 それを俳優がどのように見せますか? 指揮する一場面で見せるのです。 そうでなければ真正性ができません。”

-何年か前‘白い巨塔’で百想芸術大賞男演技賞を受ける時に話した受賞所感が印象深かったです。 “(演技で)あふれるより足りないのがより良いということを知りながらもそれがどれくらい難しいのか今回分かった”と話したでしょう。 これはキム・ミョンミン氏の演技原則のようなものなのか、今でもそのように考えられるでしょう?

“そうです。 ところでとても大変です。 実は過ぎる演技をするのは本当にやさしいです。 キャラクターの感情を表現する時その感情を分からないから俳優がオーバーになるのです。 オーバー演技のようにやさしいことはないことです。 だからもう始めて1年しかならない新人は演技がとてもやさしいと感じたりするんです。 そのような新人が犯す間違いは私は十何年目で犯したくありません。 今まで相変らずそうしているならば演技を継続してはいけないということですね。 だがまだよく分からないです。 ただあふれないためにします。 私が判断がよくできければ監督に託していく方です。”

-‘撮影直前までげらげら笑っていたずらをした演技者がカメラが回る瞬間急変するのを見れば感嘆するばかりだ’という話で俳優の神秘な側面を取り上げ論じる監督にたびたび会います。 キム・ミョンミン氏は現場で撮影中である時と撮影直前の姿がそれほど違うと思わないことに、こういう場合に対してどのように感じますか。

“本当にうらやましいです。 どのようにそのようなことが出来るかと思ったりもします。 ところで俳優として私が一つ信じることがあります。 そのように演技するならばカメラに捕えられない詳細な部分までは表現できないだろう。 精力剤が良いといって服用した直後から直ちに効果が現れるのではないように、そんな信頼もないならば俳優としてとても大変じゃないでしょうか。 何の差もないのに私が死ぬほど苦労だけしているならば本当にみじめなことです。 その方たち程の才能はないが、私もある程度持って生まれてついたりしてですね。”

-演技する時に楽しみますか。 でなければ苦痛だが後ほどやりがいができますか。

“苦痛だが結局は楽しむと話さなければならないようです。 なぜ骨を折らないです。 しかしそれは結局楽しみです。 ‘私の愛私のそばに’の撮影会場でもやつれた自分の姿を見て驚く人々の表情を見れば本当に楽しかったです。 撮影日程の間に二日間の休みの間でもできれば‘この隙にさらに痩せて出て行かなくちゃ’と決心をするんです。 二日後また出て行った時スタッフがその間にとても痩せて心配すれば表面でティーは出さないけれど中にはげんこつを握って‘やった!’と叫ぶのです。 快感最高でしょう。(笑) はなはだしきは扮装チームは序盤からずっと私を撮って後ほど痩せた過程をひと目で見られるようにしました。 それで私は分からないふりをして‘扮装が上手で私が痩せたように見せてるんじゃないの?’と問い直したりもします。”

-そんな時、その話を否定してくれなければまた心が傷つきますね。(笑)

“そのとおりですよ。(笑) 映画が観客にお目見えする前にスタッフから先に認められるということは本当に気持ち良いことです。”

-キム・ミョンミン氏は自らを消して配役の中に完全に溶けて入っていくメソッド演技をします。 韓国の代表的なメソッド俳優の中の一つでよく議論されるキム・ミョンミン氏が考えるこの時代最高のメソッド俳優は誰ですか。

“ダニエル・デイ・ルイスとショーン・ペンが本当に激しいです。(笑) すごい俳優です。
‘I am sam’でも‘ミルク’でショーン・ペンは本当に立派です。 ‘There Will Be Blood’でのダニエル・デイ・ルイスを見れば課したと思うほどじゃないの? 私はあの人がダニエルデールイスなのかか疑いながら見た位だ。 音声をそうしようと声帯をぶっ壊すほどに五十音を出したと言うのにすごいですね。 ハリウッドは商業的なブロックバスターもたくさん取るがそこで活動する俳優たちの演技力でも本当に最高水準のようです。"

-反面どんな役を受け持とうが役を自身に引き込んで長生きする演技者もいます。 何のキャラクターを演技しても俳優自身の個性を投影させる人々に対してはどのように感じますか。

“各自方式が違うと考えます。 その方らそれなりの立派な容貌があります。 全てのものを自分化して観客に見せることができるということは実にすごい魅力ですね。 一方で私はそのような持って生まれた魅力がないので自分の姿をみな消した後に役に入ることができることという考えにもなります。 持って生まれたのが途方もなく卓越すれば役を私にに引いてきて演技することもできたようです。 ところで私は少し持って生まれた俳優なので後天的な努力をしながら役に私を合わせるようです。 私が学校通う時からメソッド演技を学んできた理由も大きいです。”

-1996年にSBS公開採用タレントでデビューした以後少なくない期間を無名演技者で過ごしました。 その時期を何で耐えられましたか。

“ひとまず私は駆け足走者としてまだ出発をしなかったと考えました。 デビューはしたがスタート ラインを蹴飛ばしたことがまだ違うと感じたので以前までのすべての時間は演技者としての準備時間だと見たことでしょう。 だから出発がはやくてもそうではなくても私には特別関係がなかったことでしょう。 もちろん無名時期が大変なことはしました。 何より周囲方々の視線が一番負担になりましたよ。 自然に親戚家に行かなくなって家族行事にも遠ざかることになりましたよ。 親戚は私を見てしばらく仕事をしなければならない年齢なのにテレビで見えないと話したでしょう。 でもその時期にも私は本当に熱心に仕事をしましたよ。(笑) だが端役であったため親戚の目には見られなかったのでしょう。 それでも出発ライン地点だから関係ないと考えました。 本当に勝負は出発以後からだと見たのです。 その時仕損じないようにするなら今さらに積まなければならないという考えでその時期を持ちこたえました。”

-それなら自ら‘これが出発だな’と思ったのはいつですか。

“2000年に放映された‘お熱いのがお好き’で初めて主演をした時でした。 そのドラマでMBCで新人賞を受けて出た後あちこちでラブコールがきて忠武路(チュンムロ)に進出して初めての映画‘鳥肌’をとることになりました。 その後主にスリラーシナリオが多く入ってきて内心出発がうまくいったと思うことになりました。 ところが以後3~4年の間私が参加した映画が3編もひっくり返って打撃を受けました。 ‘スタントマン’のような映画はほとんどみな撮影したのに制作が取り消しになりました。 苦労終わりにいよいよ出発したがずっと後ずさりをしているという自己恥辱感ができました。 ‘ひとまず出発をすればずっと走ることができたが違うんだな’‘私が俳優として才能がないようだ’とまで考えることになりましたよ。”

-今まで全8編の映画に出演してそのうち5編が封切られました。 だがキム・ミョンミン氏は‘白い巨塔’や‘ベートーベン ウイルス’のようなTVドラマではるかに鮮明に記憶されます。 テレビドラマでとてもパワフルな姿を見せた反面、映画では結果的にそうでなかったことはどんな理由でしょう。

“テレビはねじりさえすれば誰でも見られます。 反面映画は限定された方々だけ見られます。 本人の意志で金を出してわざわざ選択してこそ見られるのが映画ですからね。 そのような面で二つの媒体の差があるんです。 テレビでは私が演技したそのまま出て行くようです。 演技をする時もこれがどのように見られるのか感じがきます。 ところが映画はよく分からないです。 テレビは比べてみた通り放送になるが映画は台本と全く違う結果が出てくる時も少なくありません。 率直に振り返ってみれば今まで私が撮った映画は自分自身が努力が足りなかったようです。 ‘無防備都市’のような作品は私がとても簡単に演技しなかったようです。 映画をずっととるといったが制作途中ひっくり返ってしまう場合が多かったです。 それで8編に出演したのに5編だけ封切りすることになったことでしょう。 私もたくさん惜しいです。”

-ひょっとして自分の演技スタイルがテレビにさらによく合うと考えますか。

“そうではありません。 演技環境は映画が比べることができないほど良いからさらに気楽です。 テレビがはるかに大変な場合が多いです。 自らを絶えずしばらなければなりませんね。 ある瞬間も放心できません。 なぜなら0.1秒油断する瞬間、画面にそのキャラクターでなく自分自身が出てくることになりますね。 映画は待ってくれるがテレビは待ってくれないですから。 そのような面で原初的であるところから何かを引き出さなければならないという負担があります。 少しの間安心する瞬間、普段の口癖が飛び出してきたりもして。 しかしテレビはとにかく演技者がしただけそのまま出て行きます。 映画はちょっと違います。”

-結局演技で何を成し遂げたいですか。

“私には別に夢もないです。 退屈な人でしょう。 私の夢があるならばそれはいつも次の作品です。 次の作品で私が引き受けることになる役割でしょう。 その人物の人生を演技で生きていく間、私がその中に入ってその人を表現するのが私の夢です。 それが実話だろうがなかろうが数奇なその人の人生話です。 以前には遠い未来に向かって目標を設定したりもしました。 だが鼻の先の次の目標も達成できないのにそれが何の意味合いがあるようだったんですよ。 本当に演技を上手にしたいです。”

-時間が流れるほど演技者としてますます良くなる自信があるのですか。

“ないです。 そのまま熱心にするんです。 ある日突然演技の神が私に降臨しない限りそれは容易ではないことです。 ただしとても少しずつでも良くなったらいいですね。”

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映画「私の愛、私のそばに」の日本公開に向けて別館ブログを立ち上げました。 最新情報やキム・ミョンミン氏の過去のインタビュー記事等を紹介します。 こちらではコメントは受け付けていませんので、映画やミョンミンさんについてのコメントは本館「はっぴーるぴなす」でお待ちしております~(*^。^*) http://happylupin.blog113.fc2.com/
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