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イ・ドンジン 集中インタビュー (1)

‘私の愛私のそばに’キム・ミョンミン ある演技原理主義者の行く道

キム・ミョンミン





























文=イ・ドンジン)
俳優というのは名詞でなく動詞だ。 実は枝でなく根元で開かれる。 偶然はない。 精神よりからだがさらに正直だ。 世の中を説得するためにはまず自分を説得しなければならない。 全てのものを投げることができないならばいっそ何も投げないのがより良い。 私が知っていることでなく私がすることが真の私だ。

キム・ミョンミンが歩いてきた道の道しるべにはそのように記されているようだ。 彼は自らを立てるスターよりは自らを消す俳優の道を着実に踏むことによって逆説的にますます鮮やかになる‘演技者キム・ミョンミン’の像をもたらした。 ポーランド司祭のようでドイツ兵士のようで英国科学者のような彼の姿があたえる感動は優れた演技とその演技を選ぶそのような態度から同時に受ける。 彼には演技法が他にない。 ただ生きていく方式があるだけだ。

‘私の愛私のそばに’でルーゲリック病にかかった患者ジョンウ役を担って体重20kgを減量して熱演したキム・ミョンミンに封切り前日に会った。演技をする時のようにインタビューでも終始誠実だったが、予想よりもう少し明るくて愉快だった。 まだ健康が完全に回復していないが、あるときは初めて手に握ったおもちゃを眺める子供のような目つきも何回か光らせた。 自らに厳格で他人に寛大な人が良い評判を受けなければならない理由を彼から今一度発見した。

だがすべての瞬間に彼の演技観は確かで発言は積極的だった。 演技に関する限り彼はすべての質問に明確な返事を用意していた。 すべて絞り出してこそはじめて正しい演技ができると信じるある演技原理主義者との興味深いインタビュー3時間。


-‘私の愛私のそばに’が明日公開されます。 テレビドラマの初放映を待つ時とはどうしても感じが違いそうですが。

“映画は公開される前に試写会を何回もするから反応をある程度知ることになります。 封切り以後には一般観客の評価だけ待てば良いのだからどうしても気楽です。 映画は基本的に監督の芸術ですからひとまずクランクアップしたら俳優として私の役割はすべて終わりでしょう。”

-この映画の演技に対してすでに多くの話をお聞きになったでしょう?

“そうです。 ‘私の愛私のそばに’は封切り前から本当に多くの称賛を聞きました。 私の演技力よりは感心なほど努力をするという点で良く見られるようです。 私もこの映画を通じて自分自身との戦いに勝ったようで心がかまいません。 テレビではあまりにも忙しく撮影するので事実どのように撮ったのかもよく分からない時が多いですね。 時間的に自らの演技を整える余裕もないです。 それで映画よりはテレビドラマの初公開の瞬間がさらに不安です。”

-反面テレビドラマは初放映以後の反応により以後の演技を修正することができないですか。 映画は一度封切ればそれで終わりですが。

“そのとおりですよ。 テレビドラマは初放映以後このように演技すればどのような反応が出てくるのかが相当部分予測できるから気楽な面があります。 映画は演じる時にはるかに精魂を込めることができるがひとまず完成したら再び元に戻すことができないというのが残念です。”

-‘私の愛私のそばに’は現場で演技をする時に自ら感じたことと試写会で直接見る時の感じで差がなかったのですか。 完成された映画を初めて見た時どうでしたか。

“ ‘ルーゲリック病という素材を扱ったがその病気に焦点がたくさんあたってはいないな’という感じでした。 惜しかったりしたが監督の主観や意図があることなのでそれは私の主観でないと考えました。 ‘私の愛私のそばに’はただ素材だけルーゲリック病であってルーゲリック病を直接的に扱った映画ではないのです。 ただしこの作品に対する広報が私の減量に合わされていたからそのように思われるだけでしょう。 ジョンウを演じなければならない私はルーゲリック病患者として生きなければなりませんでした。 私が見せることができたのはルーゲリック病患者のディテールであったし、また劇中でどれくらい実際と近いルーゲリック病患者として生きて死ぬかでした。”

-特に後半部で演じる時そうしたでしょうね。

“本当にそうしました。 患者として死んでいく状況ですから。 でもその時は私がどのように演技をしているのか把握できなかったんですよ。 それで自らの演技に対して非常に不安だったんです。 モニターを確認できる余裕もなかったんです。 ベッドにずっと横になっていて監督が撮影に入ると言えばやっと起きて演技をしました。 没頭するといったが何か不安でどんな感じを持ってしたのか私もよく分からなかったんですよ。 万一私の感覚が100ならばその中50だけ目覚めていたといいましょうか。 結局その部分では監督だけ信じて行きました。 ‘監督がOKなら私の演技はOKでしょう’という信頼一つだけで演じました。 それでも現場で結局何度か問い直しましたよ。 ‘監督、本当にOKそうでしょう?’(笑)”

-もう映画で直接確認できますがどうですか。 OKだったのですか。(笑)

“私が演技を自ら満足するのは不可能なことです。 それでも50%程度はやり残さなかったようです。(笑)”

-‘私の愛私のそばに’は色々な側面で本当に難易度が高い演技を要求したようです。 その中でもどんな場面が特に演技するのが難しかったのですか。

“すべての場面が全部大変でした。 闘病場面は闘病場面のとおり、キスする場面はキスする場面のとおり全部難しいですよ。 初めにシナリオを受けて読んでため息だけして休みました。 この映画をすれば死にそうだったんですよ。 以前にはそのように感じたことが一度もなかったのにですよ。”

-闘病場面は演技が容易ではないのが十分に予想されるが、キスを含んだ愛の場面はなぜ難しかったのですか。

“どうしてもそのような場面では俳優として女優を安らかにリードするべきなのに、劇中境遇のためなのか、でなければ私がリードをよくできない性格なのか、自らもぎこちないという考えがずっとありました。 それでNGも何回か出しましたよ。 自分自身プロではないような自責感まで感じました。”

-俳優も女優に劣らないようにキスシーンやベッドシーンで気まずくなりますね。(笑)

“どうしてもそうです。 相手俳優の感情から理解しなければなりませんから。 キスシーンやベッドシーンをとる日に女優を見れば雰囲気が冷たいです。 緊張も本当に多くて。 事実そのような姿に出てくることになるのが好きな俳優はないわけではありませんか? そうするうちに一緒に気を遣うことになって、またそれと共に私も自ずから敏感になるようです。”

-でもキム・ミョンミン氏は映画デビュー作の‘鳥肌’で非常に過激なベッドシーンをすでに消化されたのではないですか?(笑)

“その時は本当に戦闘的に水も火も見分けないでしましたよ。(笑) 当時には気持ちもちょっと不快でした。 おっしゃった通りそれが私の初めての映画だったのではないですか? その作品で相手俳優の故チャン・ジニョン氏は脱衣をすべてではなく下着を着ていたが、男という理由で私だけ全部脱いで演技しなければならなかったんですよ。 そのベッドシーンをとった日、監督がチャン・ジニョン氏中心でだけ鉄桶のような保安をされるのです。 初めには俳優に対する配慮が多くなかったんです。 でも私は服を全部脱ぐことになっても女スタッフが平然と私の周囲を通るのです。 女性スチール記者はずっと写真を撮っていましたし。(笑)”

-女優の心情を推し量って下さるのに俳優は全く気を遣うことができなかったんですね。(笑)

“いくら男でもそんな時は恥かしいものだったが、とても女優を配慮して下さったのでしょう。 シャワーシーンを撮る時も全く同じでした。 これはちょっと度が過ぎているのではないかと思って、私も気づかない内にベッドシーン演技で感情がのせられたようです。 それで私が撮る前にわざわざ質問しました。 ‘監督、これ無知にすべきなんでしょう?’(笑) 監督がそうしろと答えて本当に無知に演技しましたよ。 結局その場面は一度にOKになりました。 他の場面は何回か繰り返して演技をしたんですけどね。”

-色々なインタビューで故チャン・ジニョン氏に対して申し訳ない心を切切と話されました。 2年前私は韓国映像資料院で‘鳥肌’を再び見る行事を進行したことがありますが、その時チャン・ジニョン氏は当時俳優から演技を引き出すユン・ジョンチャン監督の方式が本当にすさまじかったと笑って明らかにしました。 その時ユン監督は“二人のうち一人だけ生き残る”と言ってずっとライバル意識を刺激したそうですね。 共に主演する男女俳優はよく補助的な関係にあると考えられる時が多いがちょっと異例的な状況だったようです。

“そのとおりですよ。 その時は本当にすべてのことがあまりにも戦闘的でした。 当時は私が思いやりが少なくて器が小さくて私の欲満たすことにだけ汲汲だったようです。 それでチャン・ジニョン氏が亡くなられたという話を初めて聞いた時申し訳ない心があまりにも強かったです。 ‘鳥肌’でもう少し格好良く共同作業することができたのにそう出来なくて申し訳ないのです。 映画が公開された後、私でないチャン・ジニョン氏がさらに多く脚光を浴びることになった状況に対して嫉妬もたくさんしました。 その映画でチャン・ジニョン氏が青龍映画賞主演女優賞を受けた時も心より祝賀することができなかったようでとても後悔してるんです。”


キム・ミョンミン






























-‘私の愛私のそばに’の演技を終えた状況で今最も惜しいのはなんですか。

“私は自ら体重を減らすだけ減らしたが、私が見るには後半部へ入ってからは特別差がなく見えましたよ。 演技をする前に助けをちょっと受けようとルーゲリック病患者方々にたくさん会ったが、最後に見ればその方らの手首が本当に細いです。 そのような点などを反映してもう少し写実的に見せることができなかっただろうかと思う物足りなさがあります。 監督は私に‘これはルーゲリック病ドキュメンタリーでないのさ’と話したが、私は素材がそうしただけにルーゲリック病に対するディテールが生きるべきだと思いました。”

-それでは何と20kgを減量してもさらに減らさなければいけなかったと思われますか。

“そういう欲が出ます。 だがそれは人間の限界と関連があるんです。 ルーゲリック病に対するディテールらをさらに探して演技しなければならなかったのにそうでなかった。 当時には最善だと考えたが過ぎたら常に物足りなさが残ることになりました。”

-‘ベートーベン ウイルス’のカンマエ、‘白い巨塔’のチャン・ジュンヒョク、‘不滅のイ・スンシン’のイ・スンシンなどキム・ミョンミンという俳優を特別に記憶させるキャラクターは皆真のプロでした。 非常に男性的な人物でした。 ところが‘私の愛私のそばに’のジョンウは全く違う感じでしょう。 このキャラクターの核心は何であると考えましたか。

“ジョンウのキャラクターは正確に申し上げればルーゲリック病の進行過程と一緒にあります。 彼のキャラクターを左右するのはルーゲリック病であるわけです。 その病の進行過程にしたがって意志もできて挫折もするでしょう。 その病気があまりにも大きいのでキャラクターがそこに集約されているのです。 後ほどにはルーゲリク病が彼をもてあそぶことがなります。 私はジョンウが法学徒でも性格が肯定的でもそれが重要ではないとみました。 核心はルーゲリック病患者でした。 これがルーゲリック病ドキュメンタリーでないとしてもその人の性格まで把握するならその病気に近づかなければならないというのが最も大きい目標でした。”

-それなら演技しなければならないキャラクターを眺める俳優の見解でジョンウはカンマエやチャン・ジュンヒョクと完全に違うケースだったでしょうね。

“カンマエは天才的な指揮者でチャン・ジュンヒョクは天才的な外科医者でしょう。 ところがそのような事実によって左右されるのはあまりありません。 二つとも本来野望が大きくて独善的な性格といいましょうか、手術が上手で指揮が上手で野望を持つこともあるだろうが言ってみればそれは50%程度だったでしょう。 だがジョンウのルーゲリック病はほとんど100%なんです。 ルーゲリック病以外にこの人に対して説明することがないんです。”

-ルーゲリック病患者の世界へ入ろうとする方法には減量の他にどんなものがありましたか
 

“準備過程が切実だったが資料があまりにもなかったです。 ただルーゲリック病患者に直接会えて話を交わして状態をチェックした後、保護者の事情を聞いてから自ら整理をしたのが全てでした。 いくら真似てみても減量しないで力が残っていると感じががわからないです。 ルーゲリック病患者という病状により性格がどのように変わるのかもよく分からない、とても不安でした。 それでひとまず撮影に入ってからは徹底的にルーゲリック病患者で生きなければならないと決心しました。 劇中でジョンウはインターネット ショッピングをするのが唯一の趣味になるので中盤部以後には私もやはり宿舎でインターネット ショッピングをしていましたよ。(笑) 私も驚きました。 (自らずっとカーテンをおろして)光さえ入らなくなった宿舎で私ができるのはそれしかなかったのです。 ホテルで一日だいたい二時間だけ寝て残った時間を過ごすことができる唯一の楽しみがインターネット ショッピングだったのです。 インターネット ショッピングを本当にたくさんしました。 毎日宅配の方が訪ねてきましたよ。(笑)”

-主に何をお買いになったんですか。

“スピーカーについて何日かかけて調べた後、安くて良いものを選んで買いました。 そのように一つ二つ購入してみたら後日には宿舎にホーム シアターが構築されましたよ。(笑) 着ようが着まいがTシャツとズボンもたくさん買いました。 痩せてみたら私に合うサイズのズボンがなかったんですよ。 体重をたくさん減らしたというけれど自らからだを見る時はそれほど差がないように見えたので確認するために27サイズのズボンを買ったりもしましたよ。”

-そのように到着したズボンを履いてみた後に非常に満たされたでしょうね。(笑)

“おお、これが本当にピッタリ。(笑) 目で確認して自ずから証明されるんです。 そのように何度も着ればまたその間に体重がさらに減ってそのズボンも合わなくなります。 それで明日着るズボンを買わなければならないと考えてまた楽しくなるんです。(笑)”

-からだの状態に深刻な無理があり得る20kgの減量とは本当に俳優としてものすごい準備姿勢ではないのかと思います。 その部分に対して多くの方々が感心してまた拍手を惜しまないでいますね。 誠実な姿勢に基づいたキム・ミョンミン氏の演技が賛辞を受け入れたのが昨日今日の話ではありませんが。

“私には負担になるほどです。 他の俳優の方が見れば‘我が国に俳優があの子一人なのか?’ということです。 不快な方々もおられるでしょう。 俳優として私はとても過大評価されています。 多くの方々が演技をよくやり遂げるために努力してまた誠実に過程を経ているのに唯一私の過程があらわれてある瞬間からそうなったようです。 以前にはそのような反応に接する時ごとに本当にきまり悪かったです。 でも今は私に送る拍手が私の優れた演技力に対するものでなく‘あの人は俳優として本当に熱心に生きる。 私もあのように生きなければならないけれど’という心でそうされると分かって受け入れるから心がちょっと楽になりましたよ。”

-私は‘私の愛私のそばに’を見てキム・ミョンミン氏の誠実さと演技力に驚きながらも他の一つにはこういう気がしました。 この映画ではジョンウというキャラクターがみえなくてルーゲリック病患者だけ見えると思うんです。 ジョンウがどんな人なのかよく分からないという感じだといいましょうか。 病に罹る患者だけ見えてその病に罹る人物自体が見えないならそれが劇映画でどんな意味があるということだろうか疑わしくなりましたよ。

“そのように感じたのは恐らくとった場面が編集過程でたくさん削除されたためでないかと思います。 それは監督の意図でもあるんです。 そのような部分に対して描写した場面を除去してもう少し速度感あるように進行したかったのでしょう。 ジョンウの感情よりは6人病室の雰囲気や尊厳死に対するものなどをもう少し詳細に見せようとしたこともあるようです。 監督はこの映画を通じて表現しようと思うことをまんべんなく表わされたようです。”

-患者のように見えるということと患者としてよく演技するということは別であるということもあるのではないでしょうか。

“そうです。 だが私には観客が劇中の俳優の姿を見て演技という気がしてはいけないという考えが最初です。 ひとまず患者のように見えるならば以後に俳優がどんな演技をしてもみな信じるんです。 それでドキュメンタリーを見るように没入できないでしょうか。 ‘あの人がどれくらい痛いだろうか’と真正性を感じるなら観客も共に痛く感じて苦しみます。 私は二つのうちで一つを選ぶべきだとすれば‘患者のように見せるべきだ’を選びそうです。 もちろんその演技が国語の本を読むようにする水準ではダメですが。(笑)”

-ニコラス・ケイジは‘バンパイア・キッス’であえて必要がないのにゴキブリを直接口に入れてかんで食べました。 坂本スミ子 は‘楢山節考’で演技のために生歯を石で打って破ったりもしましたし、こういう劇的な事例に対してどうに見ますか。

“ニコラス・ケイジや坂本スミ子は演じながらそうしてこそ本質に入ることができると考えたでしょう。 それならばそうしなければならないですね。 それは私も同じことです。 あえて体重を20kg減らして役を消化する必要があるかという疑問がありえます。 でも私にはそれが本質に入る最初であり最後の道でした。 違う道はないです。 その俳優もそのように考えたでしょう。 ゴキブリをかんだのとかまないのは後で見れば途方もない差です。 観客は本当に疑いが多いですね。 だが‘戦場からの脱出’でクリスチャン ベールがウジに似た虫を食べる場面を私が観客として見るなら、それが虫ではないかもしれないという疑いが全く入りません。 これはクリスチャン ベールですから、そのような信頼があるんです。 ベトナム戦で捕虜になって体験するあらゆるぞっとしてじめじめした状況がそれを食べる場面一つでみなあらわれます。 監督があえて説明しなくてもその場面だけで皮膚にさっと感じられるんです。”

-俳優が役にどの程度まで一致させるべきだと思いますか。 例えばいくらものすごい俳優でも殺人者キャラクターをまともに消化するために殺人を経験することはできないですね? 患者役をするといっても患者に見えるように痩せることはできるがその病気自体にかかることはできないです。 マラソンでテープを切って入ってくる場面を演技するために撮影直前まであらかじめ42kmを走ってくることはできないではないですか。

“私が持った限界と時間の制約の中で最大限近接することです。 普通、役割を消化できる時間が3~4ヶ月程度が与えられます。 そのような時間的限界の中で私が持った限界を克服してみるものです。 役割を受け持つ時最も注意しなければならないことがまさにその点にあります。 3~4ヶ月の間どれだけ近づくか。 結局は練習量でしょう。 テープを切って入ってくる場面を演技するために42kmを完走することはできないでしょう。 だがその場面を突然撮ることもできない。”

-その場面を演じるならどうしますか?(笑)

“私なら午後に撮影をしようとお願いして、お昼を早く食べて2~3時間をずっと走っておくでしょう。(笑)”

-確かにキム・ミョンミン氏はそのような場面を撮ることになれば、前もって他の俳優より最小限3~4倍はさらに走ってきそうです。(笑)

“私はからだに感じがくる時と来ない時が完全に違います。 そのままふりだけすれば何か直ちにばれそうです。 私もマラソンをしてその感じが分かります。 私の足の裏が私のものではないようです。 低体温症も訪ねてきますよ。 そのような色々な感じがあるのにそれを無視することはできません。 マラソン選手とは違い殺人者役を受けて殺人をすることはもちろんないでしょう。 私が言葉どおりルーゲリック病患者になることもできません。 それさえもそのようなふりだけするんです。 ただしどれだけそのようにするかということです。 万一私が殺人者役を受けるなら殺人者に会って対話をするでしょう。 ‘人を殺す時、どういう気持ちなのですか?’のような質問をしてです。”

-殺人者役を受ければ本当にそのような過程を経られそうですか?

“はい、私はそうだと思います。 知り合いの刑事の方を探してお願いするでしょう。 ちょっと恐ろしいですが。”

-それから本当に凄じい演技が出てきそうですが?

“必ずそのような過程を経なければならないようです。 間接的では想像が出来るが直接聞くこととは違うでしょう? 事実の人々は誰でも心の中で誰かを殺したい時があるようです。 運転する時もそのような気持ちがいきなり押し寄せたりもして。 周囲に唯一いやな人いることもある。 それを演技を通して間接的ながら代理体験して見ることができるということは俳優の職業が持った特別な側面です。 その瞬間だけはもちろん演技だが刺してみてもかまわないということじゃないの。(笑)”

-聞いて見たらうらやましいというよりはぞっとするんですが?(笑)ルーゲリック病はどうでしょう。 それは役をやり遂げても代理満足がないわけではありませんか?

“ないです。 苦痛だけあるだけでしょう。 それで恐らくルーゲリック病を扱った映画が以前になかったようです。 役を引き受けていくら資料を探してもそのような映画はなかったんですよ。”

-‘私の愛私のそばに’の序盤場面でジョンウはチスに自身の病気に対して“あっ、ルーゲリク? といって何、 寿命がだいたい2年残ったか?”と何ともないように話します。 万一今から人生がぴったり2年だけしか残っていない癌患者ならどのように暮らしたいですか。

“劇中で死んでいく役を受け持って本当にリアルな演技をしながら死にたいです。 私の病気をまともに使うことができる機会じゃないの。 万一私が癌患者なのに劇中配役が癌患者なら実際と演技が完全に一致した状態で病の進行過程に合うように演技をすることができるでしょう。 癌患者で扮装する必要もなくて良いでしょう。 それと共に映画のラストシーンで私が引き受けたキャラクターが死ぬ時、実際に俳優の私も死ぬのです。 どうせ私が癌患者として死んでいっているのに俳優としてそのような状況を使えなければ惜しくはないですか?”

-キム・ミョンミン氏は本当に恐ろしい俳優ですね。(笑)

“そうではありませんか? ただひとつ、封切りを見られないで死ぬのが惜しいけれどそれでも何、そのような演技を最後に残すことができるからです。”

-それなら今回も‘私が実際にルーゲリック病患者ならばどれくらい良いだろうか’と望んだことがあったかけたのですか?

“はい、本当にそうでした。 ルーゲリック病患者の方に会ってあまりにもやせこけているからだを見ればそのように病気を得ても痩せたかったことでしょう。 ところで切実に望むから本当に体重が落ちる事は落ちましたよ。(笑)”

 

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映画「私の愛、私のそばに」の日本公開に向けて別館ブログを立ち上げました。 最新情報やキム・ミョンミン氏の過去のインタビュー記事等を紹介します。 こちらではコメントは受け付けていませんので、映画やミョンミンさんについてのコメントは本館「はっぴーるぴなす」でお待ちしております~(*^。^*) http://happylupin.blog113.fc2.com/
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