「私の愛 私のそばに」の部屋 ~キム・ミョンミン~
うつ病入るようにして痩せた
私の愛…’キム・ミョンミン “うつ病入るようにして痩せた” 2009.09.10
いくら最高の俳優との賞賛を受けるとしても痛ましく見えた。 映画‘私の愛私のそばに’でルーゲリク病に罹る患者役を担って20㎏を減量したキム・ミョンミンはもうずいぶん回復したというが相変らずとても痩せて見え、以前の堂々とした容貌は探せなかった。 しかしキム・ミョンミンはその誰より幸せだった。 俳優として限界を挑戦する役があるという事実と常に彼を支持する数多くのファンのために幸福感にぬれていた。 キム・ミョンミンを囲んだ気がかりな真実を探求してみた。
#キム・ミョンミンは運動で体重減量した=×
運動は出来なかった。
‘ルーゲリク’病は筋肉がだんだん死んでいくとても残忍な病気。普段筋肉質な身体で脂肪が10%未満だったので飢える方法しかなかった。
10年の間73㎏を維持したキム・ミョンミンは今回の映画で51.8㎏まで減量した。 キム・ミョンミンのダイエット特効薬はうつ病だった。 唯一の楽しみはスタッフの激励と賛辞だったが、宿舎に入ればまた一人だけの戦闘に入った。
“撮影前に20㎏を痩せて入るならこのように骨を折らなかったでしょう。 しかし私が引き受けたジョンウは病の進行速度によりだんだん痩せるほかはありませんでした。 今日より明日さらにやせなければならないという圧迫感がいたずらではありませんでした。 撮影が終わって9時間後にはさらに痩せなければなりませんでした。 それで食欲を抑制するためにわざわざうつ病にかかろうと努力しました。 日光を見て青い澄んだ空を見れば希望ができて食欲がでるかと思って宿舎カーテンを閉じて過ごしました。 それで寝られなくてさらに鋭敏になってやせましたよ。 ホテルの人々が私が偏狭性患者だと思ったそうだよ。 ハハハ。 ”
#キム・ミョンミンはこの映画をまたとれと言うならとるだろう=×
絶対とれない。
キム・ミョンミンは撮影後半しばしば気絶をするほど体調が最悪だった。 現在、医師から献立を受けて健康を回復するために努力している。 しかしからだは一度傷を負えば回復は簡単ではない。体重が1ヶ月過ぎても62㎏から増えなくて苦労している。
“こういう役をまたできるかと? いいえ。 絶対できません。 太る役? それもできません。 ハハハ。
離乳食を食べて1ヶ月前からご飯を食べています。 肉も初めには食べられなかったんですよ。 とても丈夫でかむのが大変だったんですよ。 草食動物がなぜ肉を食べられないのか分かります。 酒はこの頃ビール一杯だけ飲んでもうっかりうっかりうとうとします。 ハハハ。 ”
#キム・ミョンミンは故チャン・ジニョンの死亡の便りに涙を流した?=○
キム・ミョンミンはチャン・ジニョンと映画デビュー作‘鳥肌’で共演した。 キム・ミョンミンはチャン・ジニョンの死亡の便りをCF撮影に行った香港で聞いた。 撮影スケジュールが立てられていたので葬儀室に弔問を行けなかった。 チャン・ジニョンの話が出てくると涙を浮かべた。
“消息を聞いて1分の間何の話をすることができませんでした。 ‘鳥肌’撮影当時両者には率直に壁がありました。 なぜそうなのかよく分からなかったが再び会うことができないと悟るや理解出来ました。新人だったので寛大でなく心が非常に狭かった時期でした。 自分の満足だけに汲々してました。 競争心もあったし当時私よりうまくいったことに対する嫉妬心もありました。 それで心を開けませんでした。 今考えればとても申し訳なく思います。涙が止まらなくて1日の間撮影をたたむほかはありませんでした。 ”
#キム・ミョンミンは今年の年末授賞式に対する欲がある=×
全くない。
映画が公開されてないのにすでに今年の年末授賞式は受け付けるのではないかという話が出てきている。 こういう反応にキム・ミョンミンは恥ずかしがって“とても痩せてなぜか痛ましいと言って病気見舞いを受ける気持ちのようだ”と冗談を言った。
“私は目に見える証明書に恋い慕わなかったです。 膳をこしらえて努力をする過程で来る喜びが私を震えるようにします。 努力を熱心にすればその恩返しは必ずくるようです。 結果を結べないでも努力をしたので後悔しないです。私は本当にたくさん過大評価されました。まだ足りないことが多いです。そのまま私の努力を高く評価してくれるのだと思います 。観客とファンが満足するならば私はそこに満足します。
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